2017年5月13日 星期六

五月淵

五月雨的糾纏
彷彿濕溽的萬線千針
將左右心室亂無章法地密縫在一起
失去調節機能
成為無用的裝置藝術

如果清水具備洗刷愁藍的能力
就不必在幽閉的縫線之間衰敗
不沉落於黏稠的深淵
迴避成為亞特蘭提斯的可能
成就無堅不摧的帝國

2017年5月7日 星期日

時間が流れぬ亡者の国


 地下室の廊下に、一番深くある亡者を呼ぶ青白い立方体が、記憶のまま変わらなかった。鼻を激しく攻めるエタノールの臭いも、まるで喜んで死に向かう仄白さも。なにか亡くなってしまってもおかしくない、誰でも感心しない。ここは俺にとって慣れていたはず、時間が流れぬ亡者の国だ。住民の目は濁る沼のよう、なにも映し出さず、生きていて死んでいる。

 数年前、俺は自ら強引で仮死状態から蘇生し、常人として生き延びてきた。然し、やっぱり平凡な日常を失い、ここに戻ってきた。刻まれた記憶は鮮明だが、意外と上陸記録がなくなって、書かれたはず歴史は、白紙になってしまった。驚いた。なぜか存在の証を消されてしまったんだろう。まるであの頃の銀髪少年は、存在しなかった架空の人物みたいだ。或は「君は異常ではありませんでした」と皮肉に言われているような気がする。返せ。俺を返せ。返さなければ、ここにいる俺は、過去はここに暮らした少年も、幻になってしまうのだ。 仕方あるまい。自分を取り戻すため、何かを隠そうとする深くて狭い廊下を、改めて通さないといけないのだ。慎重な歩き方で新入りのフリをして、前世の醜悪を握り、現世の秘密を持ち、再生を求める。歩きながら、指先から落ちる欠片は、変わらぬ自分の弱さである。普通に生きるため、狂い自分を再び隠してゆこう。失いながら、完璧な一つになって、一人で歩もう。

2017年5月3日 星期三

回家


  四月,在日常重複的歸路,著毋須意識與焦準也能保持對方向感的空洞,因不同於記憶的一簇異色而從夢遊蘇醒。一隻流浪露出滿足的神情將四肢向前伸展,沐浴夜色。灰黑色霧面地磚無縫拼成的床席之上,披著虎紋皮毛,汲取月光,彷彿深陷一床羽毛被褥,兀自眠,優雅地丟棄呼吸。即使明白不存在可能,也不打算驚擾,繞道離去。人的有情與無情如此一體兩面,未有對的善惡。既然會在臨終前選擇長眠的角落,那他人也必須尊重那樣的選擇。那條獨自返家的末路。

  月末一次返家,意外地被家給拒。日常的崩毀,像被壞的鎖一般脆弱:即使手握門匙,牽不動那些理所當然,就再回不去,然後輕巧地被拒於日常之外。深夜的週末沒有旅館可以下榻,僅存的異數也只像在譏笑無家可歸的異數。只得鑷起異常,開展一日流浪。重拾習以為常的漂泊,卻彷彿鐵像般無意識地被磁吸到幼時成長的通路。月落日升,也沒在直線徘徊以內回到裡。那條名為長安的路未曾長安。重回熟悉的街道,是否與臨終的相似,筆直向前,再在習慣的街景裡迷路,看不穿市容;或其實迷著路,誤以為能抵達自己的角落

  在最接近心安的一隅,倚著騎樓的長柱落,腦中迴盪一首幾年沒播過的歌,羨慕起那隻巧遇的流浪。至少回去了。蜷起身,學把所有脫離控制的震盪試圖以肉吸收殆盡,卻丟失四海為家的執拗,成為一隻瀕死的流浪。如果如傳說般九命,自己該如何揮霍、如何計算餘下的額度,如何在耗盡以前遷徙至可以回的家。

  輕輕放開你的手/漫漫長路繼續走/自己才是自己的家/想到這裡/怎麼我又哭了/怎麼我又哭了裡才是我的家――陳綺貞,〈家〉

  與年少時無異,我清楚記得偶有幾隻行人投以閃避的目光,再禮貌地繞道而去。